【新春企画】ケンブリッジ大学現役学生との対話③

これまでの原さんとの対話の中で、「対話」の前提には、相手へのリスペクトや偏見のないこと(= open-mindedness) が大切であることを確認しました。もちろん誰しも経験的に分かっている当たり前のことですが、日本の教育現場や社会の中で本当にそれが実践されているかとリフレクションしてみると、心もとない気がします。

Q: 色々な意見を許容する寛容性というのはどのように生まれてくるのだろうか。

 
やはりそれは多様性ではないでしょうか。民族や宗教の違いといったことだけでなく、一人ひとりの考え方や価値観の違いが大きいので、それを統一しようとするのをあきらめるといった感じがあると思います。私もイギリスに行ってすぐの頃は、授業中にコーラを飲んでいる人がいたり、宿題を全然やってこない人がいたりすることに内心「大丈夫この人?」と感じることがありました。でも、3カ月くらい経つと「分かり合えないけど認める」「こういう考え方もあるよね、私とは違うけど」として認めて称えるという環境に慣れていきました。そういう人がいても授業は崩壊しないし、「これでいいんだな」と思えるようになりました。
  
これは言ってみてもどうしようもないことかもしれませんが、 日本では、みな同じ背景で育っていたり同じ人種であったりするので、クラスの中で同じ意見が出るのは当たり前で、それを疑うことがなくなってしまうということがあると思います。私もイギリスに行ってみて初めて気づいたことですけど、日本でずっと教育を受けてきたら、そこで身につける価値観についての判断をすることはできなくなるのかもしれません。
 

原さんはゆっくりと自分の感覚を確認しながら静かに話を進めていきます。日本のシステムがダメだとかイギリスが優れているということではなく、自分がいかに環境に順応していったかという観点から、それぞれの社会の違いを浮き彫りにしていきます。

  

イギリスに行ってよかったのは、家族で話をする時間が増えたことです。父親は定時に帰ってくるし、部活もそれほど忙しくなかったですから。両親ともに話をするのが好きなので、よく色々なことに疑問を持っては一緒に調べたりしていました。

部活に関しても、イギリスではコミットメントが緩いというか、休みたいときには休むし、時間が延びても夕方5時には帰る感じです。日本にいたらきっと土日も部活で、いったいいつ休めばいいのかという毎日だったと思います。それはそれで楽しかったという思い出は自分にもありますが、無駄なルールなども多くあり、持続的なものではないと感じます。イギリスではバレーやバスケットボールを部活でやっていましたが、安全に動けるなら何を着てもよいということで、服装についてもあまり規定はなく、合理的だと感じました。

一方でイギリスの学校には「メリットシステム」がしっかりと確立していて、なんでも寛容であるというわけではありません。宿題を遅れて提出すれば、それはペナルティとして加算されるし、下級生に何かを教えたりすれば、それがメリットとして加算されるなど、漠然とした評価ではなく、明確な行為としての評価システムができていたと感じます。

 
この後も、自然環境に対する考え方の違いやケンブリッジ大学での研究内容など、興味深い話を聞かせてもらいましたが、これらの内容はまた別の機会に紹介させていただきます。