最近GLICCに電話をかけてくれた方は英語で応答するスタッフに当惑されたかもしれません。というのもアドミニストレーターとして手伝ってくれているデンマーク人のJosephineは、日本語を勉強している最中で、今のところ英語で応対せざるを得ないからです。
一応日本語による電話応対の研修はしました。「はい。GLICCのジョセフィンです」ーここまでは何とか日本語で対応できるようになりました。しかし、この後に日本語でまくし立てられるとジョセフィンには分かりませんので、"There is no staff who can speak Japanese" などと応対してしまうことになると思います。せっかく電話をかけていただいた方に失礼な話ですので、ジョセフィンには「相手の名前と電話番号だけは聞いておいてください」と私が不在の際の電話応対マニュアルは渡してあります。しかしながら、必ずしもうまく聞き出せるという訳ではなく、無効な電話番号だったり、どう考えても名前が違うだろうというメモが置かれていることもしばしばです。
それでは困ったことばかりなのかと言えば、そんなことはなく、英語講師への連絡や英語で行うリサーチについては本当に有能ですし、文化の違いなどをこちらが学ぶこともしばしばです。
文化の違いと言えば、イギリス人やアメリカ人とはまた違う北欧人の感覚が垣間見えることがあります。例えば、イギリスやアメリカでも大学ランキングに象徴されるように競争的なところはあるわけですが、彼女が言うにはデンマーク人には、よりよい学校に入るために頑張るという感覚がわからないそうです。頑張らずに卒業(あるいは入学)できればその方が賢いだろうというロジックです。点数を競うとか、人よりいい大学に行きたいという感覚は一般的なデンマーク人にはないようです。かつてスウェーデンに暮していた帰国生がやはりスウェーデン人の気質は日本人とは対極と言っていいほどかけ離れていると言っていましたが、デンマーク人の気質もスウェーデン人と似ているのかもしれません。そうだとすると、彼女の感覚には日本人にとっては大きなヒントがあるかもしれません。そんな風に感じています。
先日は彼女とヴァイキングのことについて話が及びました。ヴァイキングと言えばデーン人、すなわちデンマーク人の祖先です。ビュッフェスタイルをヴァイキングと呼ぶのは和製英語ですが、なぜヴァイキングと呼ぶのか不思議に感じているようでした。さらに、ヴァイキングのイメージはパイレーツ(海賊)として描かれていることが多いことを伝えたところ、心外そうにそれはまったく異なると話していました。ヴァイキングは確かにイングランドに乗り込んで行ったが、彼らの生業は農夫であり、あるいはビジネスマンなのであって、パイレーツではないと主張していました。なるほどそうなんだとうなずきながらWikipediaで確認してみると、やはりパイレーツであったと書かれていたので、それを示すと、不承不承ながらそういう残念な人もいたかもしれないと認めつつも、しかし、海で暮らしていたわけではないからパイレーツではないという主張は首尾一貫していました。
何が言いたいかというと、歴史の認識は国や文化によって大きく異なり、世界には未だに日本人はちょんまげで帯刀しているというイメージを持っている人がいるように、私たちの民族や国民へのイメージもバイアスがかかっているかもしれないということです。
前置きが長くなりましたが、ジョセフィン先生をよろしくお願いします。