スキル重視と「脱近代」重視 ―「21世紀型教育」について考える ①

GLICCは「思考力×英語×ICT」を中心に据えた21世紀型教育ベースの学習コミュニティとして、2016年に開校しました。5年前に比べて「21世紀型教育」という言葉は広がってきましたが、人によってその捉え方は異なっているかもしれません。大きく二つに分けるならば、21世紀を生きる上で必要となるスキルを身につけるという見方と、20世紀をクリティカルに捉え返し、一人一人の個性や才能を認め合う人間関係を重視するという見方です。
 
前者は、具体的には英語力や論理的思考力、デジタルテクノロジーを駆使する力などを育成することですから、20世紀型カリキュラムの延長上であっても構築していくことが可能です、一方で、後者は、脱偏差値、批判的・創造的思考、才能や個性を伸ばす教育ですから、これまでの伝統的な学力観に対して創造的破壊を起こしていく覚悟が求められることになります。
 
​私立学校はもともと生徒の才能や個性を伸ばす教育をしてきたので、後者のタイプが多いのですが、受験市場では大学進学実績や偏差値といった分かりやすい数値で学校を評価してしまいがちです。結果的に20世紀型の学力観は温存され、その延長としての21世紀型スキルがチェックリストのように取り上げられることが多くなってしまいます。20世紀型の教育の上にいくら21世紀型スキルを接ぎ木したところで、「見えないカリキュラム」で身につけてしまう態度や学びの本質は変わらないので、一元的な評価尺度の中で相対的優位なポジションを獲得する競争という、近代社会の抱える問題は再生産されることになります。

昨今、海外大学への進学がよく話題になりますが、これは、日本の受験におけるピラミッド構造を相対化する意味で大いに意味がある話です。世界大学ランキングは、日本の受験偏差値を相対化する意味で使えばよいのであって、このランキング上位を目指して競争するのでは20世紀型競争をなぞるだけの話になってしまいます。

序列を強調する教育の問題点は、自己肯定感が持てない若者を大量に作り出してしまうことにあります。偏差値強者のように思われる人であっても、所属集団の中で偏差値的序列の中で自己評価を強いられるシステムに絡み取られます。そのような20世紀型教育を乗り越える意味での21世紀型教育は、21世紀型スキルに加えて、多元的な評価による才能や個性を育成するものであることが理想です。

現在、そのような意味で21世紀型教育を行っている学校としては、21世紀型教育機構の加盟校が筆頭に挙げられるでしょう。通常授業を外部機関に公開し、アクレディテーション認定をしてもらおうという覚悟が、それを物語っています。
 
他には、書くことやプレゼンテーションを採り入れた入試を行っている学校も21世紀型教育を推進する学校とみなすことができます。ちなみに適性検査を思考力入試に含めるかどうかの見極めはなかなか厄介です。「思考コード」の考え方を導入しないと分かりづらいのですが、設問によって才能や個性を活かそうとしている学校かどうかが見えてきます。この基準に照らすと、プログラミング入試や自己表現入試などは思考力入試のカテゴリーで考えることができますし、麻布中や武蔵中なども、4科入試ではあっても、このような思考力型問題を埋め込んでいる点で、21世紀型教育を推進する学校として見ることができます。