1 月
05
2020
By hiros
一昨年ケンブリッジ大学に進学した原さんと「対話」について対話しました。「対話」こそはイギリスで学んできた原さんが大切にしている学びのスタイルです。原さんが話してくれた中身の詳細はいずれどこかに掲載したいと思いますが、今回はその一端をご紹介します。
小論文の講座を受講している時から原さんは「対話」を好んでいました。彼女が「対話」を意識したのは、小学生の頃の読書が始まりだったそうです。高学年になるころには、読みながら登場人物の行動について想像をめぐらせ「自分ならどうするだろうか」と、原作とは別次元の展開を同時に楽しむようになっていました。ですから、テストなどで登場人物の気持ちを聞かれてその答えが一つしかないことには違和感を覚えていたということです。
お父様の仕事でイギリスの学校に中学生の時に転校した彼女は、対話やディスカッションが自然に取り入れられる授業スタイルにどんどん惹かれるようになります。
例えばイギリスに行って間もない頃、中学生の時の化学の授業で、フッ素が水道水にも微量だけど混じっているという話から、それが是か非かみたいなディスカッションに発展していったことがあったんですね。日本での授業スタイルと違うので、最初はとまどったのですが、クラスメートもみんなその議論に参加して最終的には「選択の自由とは」という哲学的な議論になっていったのがとても印象に残っています。
やがて原さんはケンブリッジ大学の入試に高度な対話による面接選抜があることを知り、学校の先生との練習を重ねていき見事合格を果たします。特にオックスブリッジの専門というわけでもない教科担当の先生との対話が面接の対策に非常に役立ったということ、また、ケンブリッジ大学に進学してからも、友人たちがみなそういう高度な対話力を持っていることに気づいていきます。(続く)