英語哲学対話を担当しているAlex先生から、かつてPhilosophy Lessonを受講していた生徒がLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に合格したとの連絡がありました。
哲学授業が入試にも効果がある(日本であれ海外であれ)というのは自明のことなのですが、日本では哲学授業というとまだまだ受験には役立たないというイメージが先行していますね。受験のためには無駄な勉強をやめて出題頻度の高いものを効率よく習得するという発想が根強くあります。効率を重視している時点ですでに前世紀的なのですが、これが近道だと信じて疑わないのです。しかしそのような学びが受験においてもむしろ効果が低いのは、知識をインプットする主体は人間であり、知識をずっとインプットし続けることには、限界があるということを思い起こせば明らかです。
考えてアウトプットすることも、インプットがないとやがて疲弊しますから、哲学授業もまた、考えているばかりではなく、調べたり、言い回しを工夫したりと、様々な思考スキルを使っています。このようなスキルは、受験が終わっても、成長マインドセットとして自身の性質として財産になっていくのです。
さて、LSEに合格した生徒ですが、Alex先生へのリスペクトを込めて、こんな合格体験記を送ってくれたそうです。
LSEに出願するにあたってエッセイを書きましたが、哲学のおかげで客観的に自分と向き合い見つめ直す事ができ、無事合格する事ができました。哲学的思考が私にもたらしてくれたのは、鏡だと思っています。案外自分と言う像を見るのは難しいものですが、哲学を介することで自分がどういった人間であるかがより鮮明に見えてきます。情報が溢れかえっているこの世の中、自分の興味や自分と言う像を鮮明に映し出してくれる哲学は一生の財産になる事、間違いなしです!
哲学が自分を映し出す鏡だなどと表現できるのは、やはり並みの高校生ではありません。こういう生徒が世界で伍していく人材になっていくのでしょう。