探究型の学習サイクルを生み出すには指導する側の意識改革が必要です。具体的には、教えようとする意識を手放すことです。
しかし、英単語すらほとんど知らない小学生に知識を与えないでどう学べと言うのでしょうか。例を挙げてみます。
人の性格を表す単語を覚えるとしましょう。ここで覚えるべき単語をリスト化し、例文を与えて意味を考え、翌週までに暗記してくる、このようなスタイルは、探究型とは呼びません。もちろん、生徒によってはこういったスタイルを好む場合もありますし、このスタイルを否定はしません。時と場合に応じてこれもありです。
探究型であれば、次のような導入になるかもしれません。
つまり、覚えるべき単語がリスト化されて先にあるのではなく、生徒の関心にしたがって重要度が決まればよいという考えです。ここで生徒が調べる単語は、実際にはあまり使われない言葉だったり、ネガティブなニュアンスだったり、生徒が意図したものとは異なる意味である可能性もあります。そこは当然先生の出番なのですが、真面目な先生はここで恐れを抱くかもしれません。生徒が調べた単語のニュアンスが自分に分からなかったらどうしようか、あるいは微妙なニュアンスの判断などができるだろうかと。
ところがそれは簡単にできるのです。先生もインターネットを味方につければよいのです。そして、「その表現、先生も調べてみたけどあまり良い意味では使われていないようだね。もしかしたら〇〇さんの言いたいことって□□という単語の方が合っているのではないかな」などと一緒に学ぶのです。調べても分からなければ、知恵袋に質問を投稿してもよいかもしれません。そのプロセスが全て重要な学習になるはずです。
このような授業スタイルは、先生の威厳は不要なので、先生らしく振る舞いたい人ほど苦手かもしれません。しかし、先生が教えようとすればするほど、生徒は受け身の意識になってしまいます。ですから、教えることを放棄するのではなく自分も一緒に学ぼうとすることです。このようなスタイルを「学習者中心主義」と呼びます。生徒中心主義とは少し意味合いが異なります。