IB Language Aの理論的背景

IB Japanese A のカリキュラム改定に際し、新しいガイドブック等に目を通していますが、改めてIBの理論的な厚みを痛感させられています。

私自身はIBスクールの教師ではありませんし、特別にIBを信奉しているということもありません。ただ、海外で学習する生徒をサポートする上で、IBやA-Level、それにアメリカンカリキュラムに精通することは避けて通れませんから、日々必要に応じてカリキュラム情報を収集しています。

そんなわけで最近は2021年の最終試験から改訂されるIB Language Aの変更内容を追っているのですが、表面的な改訂以上に理論的な深化(というか、これまで封印していた面を新たに開示した?)を突き付けられ、刺激をもらっています。

今回のLanguage Aでは、文学理論を実践に応用することがはっきりと謳われています。ローマン・ヤコブソンで有名な「ロシアフォルマリズム」や、テリー・イーグルトンを初めとする「マルクス主義批評」、ウンベルト・エーコの「受容理論」、ほかにも「ポスト構造主義」や「フェミニズム批評」など、だいぶ昔に流行った『文学部唯野教授』ばりの文学理論の解説が満載なのです。

なぜこのことが重要なのか。それは、作品分析のツールを提供してくれるからです。どの文学理論が正しいかということではなく、そのような理論が生まれたコンテクストやその方法論を用いることの有効性を教師が知っておくことが決定的に重要です。そして、理論がどのように具体的な作品分析に応用されるのかという例まで示されています。例えば『リア王』におけるグロスターの失明を「批判的障害理論」を用いて分析する、などといった感じです。

そもそもIBのカリキュラムは構成主義がベースになっていますから、文学の学習においても作者の意図を追うというよりも、生徒自身が作品を解釈し、第三者が妥当だと思える根拠を提示できるかどうかを重視します。つまり、根拠のない感想ではなく、細部と全体をつなぐ分析力が求められるのですが、文学理論というのはそのような分析をする上での視点を提供してくれるわけです。

日本の学習指導要領で目指している文学指導とは方向性からしてまったくかけ離れています。残念ながら日本ではまだまだ感性や情緒を育むものが文学とされていますが、そのあり方では文学の面白さも(時には毒も)、クリティカルなものの見方も意識されないでしょう。

しかしながら、日本でもクリティカル&クリエイティブな思考力を意識した意欲的なプログラムは行われています。21世紀型教育機構と聖学院のPBL研究チームが実施するこのイベントも、意欲ある先生方が集まり、理論と実践をスパークさせる場となるはずです。このような動きに参加していく先生が増えることで状況は変わっていくのかもしれません。