湯浅チューターの【プログラミングへの道】第1回「東大に合格できたのはゲームのおかげ?」

湯浅チューターは、東京大学理科一類で学んでいます。今後はコンピュータープログラミングの世界に進みたいという希望を持っていて、今回はプログラミングに興味を持つようになったきっかけについて書いてくれました。意外や意外、東大生になるには楽しいこと我慢して・・・と思っている人はぜひ読んでみてください。 

みなさんこんにちは。東京大学理科一類2年生の湯浅と申します。僕はプログラミングに興味を持っていて、大学でもそれについて主に学びたいと思い、受験する学部を決めました。この記事では、僕がどのようにしてプログラミングに興味を持ったかなどについてお話したいと思います。

僕がプログラミングに興味を持ったのは、パソコン教室のようなものに通っていたからでも周りにいたその道のプロに影響されたからというわけでもありません。パソコン教室などの塾に通っていたことはありませんし、父親は一応システムエンジニアをやっていますが、仕事についての話を聞いたことはありません。父親の仕事に関しては、正直何をやっているのかわかりません。少し前にはタンカーに乗っていましたし、僕の中ではシステムエンジニアという仕事は謎が多いです。

では、どこから興味を持ったかというと、もっと身近なところからです。僕は勉強が好きで、まじめに勉強ばかりしているようなタイプの人ではなく、娯楽が大好きな子供でした。小さいころから一人のときも、友達と一緒のときも携帯ゲーム機を使って遊んでいました。

僕は海外に住んでいたのですが、海外ではゲームセンターや公園などがあまり周りになく、遊びにいこうにも車で遠出をしないといけないような状況でした。なので、自分の持っているゲームに余計にのめりこんでしまった部分もあると思います。最初のころは純粋にストーリーをクリアすることを目標にプレイしていましたが、こういうゲームにつきものなのが競争の要素です。そして、この対戦というのはどんなジャンルのゲームであれ、一定のところより上手くなろうとすると、次第にゲームのシステム的な制限や抜け穴をつく、いわゆる裏技に行きついてしまうのです。

そうしてシステム面のことを少しずつ知るようになり、僕の中にプログラミングなどのゲームやシステムを作ることへの興味がわいてきました。それでも、あくまでゲームの延長という程度の興味でしたが、こういったゲームをつくる人達や、そのゲームの内容を解析して、システムの抜け穴や仕組みを解明していくような人たちに憧れを抱くようになっていました。

それからもゲームをしながら日々暮らしていって、次第に進路選択を迫られるような年齢になっていました。そのころの僕は将来に関して漠然とした不安を抱えながらも、学校の勉強は適度にやって、基本的にはやりたいことをして日々を過ごしていました。そこで進路選択を迫られたとき、かなり迷ったのを覚えています。将来これといってやりたいことがあるわけでもなく生きていた僕にとっては、高校生で進路を決めろと言われても困ってしまっていました。

しかし、そんな中で担任の教師に好きなことをやればいいと言われ、僕の好きなものは何だろうと改めて考えてみたら、やはりずっとやってきたゲームだろうという結論にいたりました。そこで初めてプログラミングを学問として習ってみたいという欲がでてきました。

ところでプログラミングという分野においても優秀な人材というのは、勉強などもできる人であることが多いです。僕がやっていたゲームにおいても、ネットでそのゲームの解析をしたり、効率よく進めるためのソフトなどを作っていた人たちの多くは有名な国公立大学や難関私立大学の学生でした。

そういうわけで、プログラミングをきちんと勉強したい僕としては、そのようなトップレベルの大学に入ることが目標となりました。人間、目標を得るとやる気が出てくるもので、今まで漠然と勉強をしていたのが、次第に受験を見据えた勉強に変わっていきました。それが原因だったかどうかはわかりませんが、そうして地道にやっていった結果、僕は現役で東京大学に合格することができました。

ここで僕が強調したいのは、僕は性格的にもめんどくさがり屋で、楽なほうに、自分のやりたいことをやりたいようにやってきたような人間だということです。それでも結果としてはそれがやる気に繋がったので、すごくラッキーだったなあと思っています。

僕は人生においてはどんなことであれ無駄になることはないと思っています。勉強をやらなければいけないと考えるのではなく、自分のやりたいことにつながる手段だと考えられるようになれば、それはそれですごく伸びるようになると思います。

この話が何かの参考になれば幸いです。